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福岡地方裁判所 昭和34年(わ)710号 判決 1963年5月25日

被告人

山下隆二

外三名

主文

被告人今仁久雄、同中村邦臣を各懲役二月に、

被告人山下隆二、同小野明を各懲役一月に処する。

ただし被告人四名に対し、いずれもこの裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、証人岡崎林平に支給した分は、昭和和三十五年五月十二日(第六回公判)出頭分については、被告人小野を除く他の被告人三名の平等負担とし、同年十一月十七日(第八回公判)出頭分については、被告人中村を除く他の被告人三名の平等負担とし、同年十月四日(第七回公判)出頭分については、被告人四名の平等負担とし、証人溝江三治に支給した分は、同年五月十二日(第六回公判)出頭分については、被告人三名の平等負担とし、同年十二月十三日(第九回公判)出頭分については、被告人四名の平等負担とし、証人三好雅司、同白土光夫に支給した分は、被告人今仁を除く他の被告人三名の平等負担とし、その余の証人に支給した分は、被告人四名の平等負担とする。

理由

(本件事件発生に至るまでの経過)

わが国の教育制度は、終戦を転期として根本的な改革が行われ、基本的人権の尊重と平昭主義の原理に立つた日本憲法の精神に則り、わが国の教育の基本的なあり方を明定した教育基本法をはじめ、学校教育法その他の諸法令が整理され、これに伴い文部省は、昭和二十二年小学校、中学校における指導計画を適切ならしめるため、その基礎となる教育課程の手引きとして学習指導要領を編集発行し、昭和二十六年並びに昭和三十年その改訂を行つて来たが、昭和三十三年八月二十八日代文部省令第二十五号により学校教育法施行規則の一塁を改正し、中学校の教育課程中職業家庭科を技術家庭科に改めるとともに、同年十月一日文部省告示第八十一号により中学校学習指導要領を公示し、右教科にかかる部分については昭和三十七年四月一日より実施することとし、右改訂に伴う移行措置として、全国五地区において技術、家庭科の研究協議会を開催することを決め、関係教育委員会に対しその旨の通知を発し、これに基づいて九州地区においては、文部省並びに福岡県教育委員会の共催により、昭和三十四年六月八日から三日間福岡市西新町の福岡県立社会教育会館(以下単に会館という)において、昭和三十四年度中学校教育課程(技術、家庭)九州地区研究協議会が開催されることになつた。右研究協議会は、受講者においては受講後指導者としてその受講内容を中学校の担当教師に伝達する計画のもとに行われることになつていたので、九州各県の県教育委員会は、当該教科関係の指導主事のほか、主として工業高校教論を対象とし、各学校の校長を通じて受講参助を依頼して、その承諾をえた結果、受講参加予定者は福岡二十四名、鹿児島十五名、熊本、長崎各十二名、宮崎、大分、佐賀各九名の合計九十名に及び、右受講者の宿泊には前記会館並びその敷地内にある福岡県職員研修所の宿泊設備があてられ、受講者は協議会開催の前日である六月七日会館に集合するよう要請された。

一方各都道府県教職員組合等の連合体である日本教職員組合(以下単に日教組という)は、前記学校教育法施行規則の改正による教育課程の改訂は、昭和二十五年の朝鮮戦争を契機として反動化してきた政府の文教政策の一環であり、昭和二十九年の義務教育諸学校における教育政治的中立の確保に関する臨時措置法並びに教育公務員特例法の一部改正によつて、教員の基本的人権である政治的活動の自由を奪い、昭和三十一年の地方教育行政の組織及び運営に関する法律によつて教育委員の公選制を廃して任命制を採用し、その他教員の教育活動の自由を仰制する勤務評定や反動的な官製道徳教育の実施など、教育行政に関する法令の制定改正や行政措置によつて教育の自主性を侵し、官僚的な中央集権化を推進して来た一連の政策に関連するものであつて、従来教師が学習指導計画をたてるについて、これに示唆を与える趣旨で文部省において編集し、発行されていた学習指導要領に法的拘束性と基準性とを附与し、教育内容を統制して、教育の自主性、教師による自主的な教育課程編成権を侵害するものであるばかりでなく、内容的にも就職、進学別のコース制を採用し、男女差別教育を施して、教育の機会均等、個性尊重の教育を破壊し、技術家庭科においては、徒弟的技術者を養成して独占資本に奉仕させようとするもので、これは憲法、教育基本法に違反して、反動的、画一的な教育内容を行政権力によつて強制するものであるとして、すでに昭和三十三年七月第十八回臨時大会において教育課程改訂反対の決議をなし、さらに教育課程研究全国集会を聞いてその批判、研究を行い、ついで同年十月の第十九回臨時大会、同年十一月の第四十六回中央委員会、昭和三十四年一月の第四十七回中央委員会、同年二月の第二十回臨時大会等において教育課程改訂反対の具体的な闘争方針が決定され、これに基いて日教組中央執行委員長より傘下の各都道府県教組委員長宛に指今指示を発して来たが、昭和三十四年二月二十五日付指示第十二号により文部省の行う教育課程移行措置に対し、これに反対する日教組の基本的態度を明らかにするとともに、「各県教組は、直ちに、県教委と交渉を行い、移行措置講習会の計画を阻止し、教育課程の自主編成のための闘いを展開されたい」等の具体的指示を行い、以来引き続きその後の情勢に応じて同年四月までの間に指示第十五号、第十七号をもつて各都道府県教組に対して、移行措置反対闘争についての具体的指示がなされた。

福岡県下の公立小、中学校の教職員で結成された単位教職員組合の連合体である福岡県教職員組合(以下単に福教組という)並びに同じく公立高等学校の教職員で結成された単位教職員組合の連合体である福岡県高等学校教職員組合(以下単に福高教組という)は、福岡県教職員組合とともに福岡県教職員組合協議会(以下単に岡教協という)を組織し、その名において日教組に加盟しているものであるが、前記日教組の指示を各自その執行委員長より組織的手続に従つて順次各支部、各分会に伝達指示して所属組合員に示達する一方、昭和三十四年五月二十日ごろ福岡県教育委員会学校教育課指導係長中野弥壮より職業家庭科について講習書を開催いたしたいので協力して貰いたい旨の申入れを受け、その後右講習書なるものが、文部省と福岡県教育委員会の共同主催による、教育課程改訂に伴う移行措置としての技術、家庭科に関する研究協議会であることが判明したところから、前記日教組の指示に基づいて、右協議会開催阻止の対策をたて、同年六月四日ごろ右支部長に対して、右支部は同月八日から十日にかけて福岡市で行われる中学校教育課程(技術・家庭)研究協議会に出席する者を緊急に調査し、出席しないよう極力説得に努め、かつ協議会開催当日会場附近において出席者に対し不参加の説得を行うため一定の動員を行う旨の指令を発するとともに、福教協の名において、主催者側である福岡県教育委員会に対し右協議会開催の中止方を申し入れ、同月五日と六日の両日にわたり福岡県教育庁において、同県教育委員会の下川教育委員長、岡崎教育長、荻島学校教育課長らと、福教組並びに福高教組の幹部役員らとの間でその交渉が開かれた結果、組合側の協議会中止の要求は容れらなかつたが、教育長岡崎林平より、受講予定者を協議会に参助させるについては、その者の自由意思によつて決し、強制はしない旨の確約をえた。

会場設営の責任を負う福岡県教育委員会は、右研究協議会の開催を阻止しようとする福教組、福高教組の動向や他地区で行われたこの種の研究協議会その他の講習会に対する日教組の阻止闘争の情勢から判断して、本研究協議会の開催が組合側によつて、不参加説得等の方法で妨害されるやも測り知れないことを危倶し、これに対処するため、九州各県の教育委員会に対し、受講者は右県ごとにそれぞれ集結して会館に到着するように要請し、また所轄の西福岡警察署に対し、協議会の日時場所を届けるとともに、万一組合側と摩擦混乱を生じた場合における警備の協力方を依頼し、なお会館の門扉を補修し、周囲の生垣を修理して、外塁から隈りに侵入できないようにし、協議会開催の前日である六月七日は、日曜日であつたが、午前中から福岡県教育委員会の溝江教育次長、荻島学校教育課長、馬場会館長はじめ課長補佐、指導主事、会館主事その他の職員など十数名が、また午後五時ごろには岡崎教育長も、来館し、会場、宿泊所等の設営受講者に配布する資料の謄写、受講者受付等の事務をとる一方、朝から会館の正門その他構内への各出入口を閉鎖し、正午ごろには、正門をはじめ裏門、通用門など、四、五カ所に「中学校技術家庭研究協議会参加者以外の方の構内立入を堅くお断りします。但し研修所員、社会教育会館の方は此の限りでありません。福岡県立社会教育会館長」と書いた会館長名による立入禁止の立札を立て、指導主事数名が正門内側の研修所前において受付と警備の任にあたり、正門の東側通用門のみ受付係員において受講者その他の関係者であることを確認して入門させ、その後は再び閉鎖して門をかけるなどの対策措置を講じていた。同日午前から午後にかけて、福岡工業高校の受講者六名中五名の無事入門した。同日午後一時半ごろには熊本県の受講者十二名が会館に到着し、その際福高教組の組合員二名位が正門附近にいたが、何ら阻止されることなくして全員入門することができた。その後福高教組の組合員が次第に増加するに及んで、同日午後三時ごろ到着した鹿児島県の受講者らは、同県教育委員会の関係者三名位が入門したのみで、他は組合員から不参加の説得を受け、入門を断念してその場を引き揚げた。福教組は、同日福岡県教育会館において、評議員会(県評と略称されている)を開いていたが、福高教組から、受講者が会館に到着しつつあるが当方人手不足につき、早速不参加説得行動に参加来援されたい旨の通報を受けたので、同日午後四時半ごろとりあえず各支部から一名づつを先発させ、県評終了を待つて午後七時ごろ組合員六、七十名が貸切バスに同乗して、会館正門前に到着後、中央闘争委員が指揮して北九州地区と筑豊地区の組合員を正門に、福岡地区と筑後組地区の組合員を裏門に配置して、受講者の入門を阻止する態勢をとりを正門前には道路を隔てて天幕を張り、会館に到着する受講者に対し不参加説得をなすべく待機するとともに、一部の者は正門内部の受付係員に岡崎教育長や荻島学校教育課長らへの話合要求の取次を申し入れたりなどしていた。これより先、午後七時到着した福岡工業高校の受講者一名は、今仁被告人から説得されて、いつたくその場を引き揚げたが、その後会館裏のくぐり戸から会館内に入り、午後十時ごろには佐賀県並びに大分県の受講者が、待機する組合員を避けて、夜陰に乗じ会館横の通用門等から相次いで会館内に入つた。そのころ会館周辺に集結した組合員は、福教組並びに福高教組その他佐賀県高教組などその数併せて百名前後に及んだ。

(事件の概要並びに罪となるべき事実)

被告人山下隆二は、昭和二十三年三月東京農業専門学校を卒業して、福岡県立田川農林高等学校教諭となり、福岡教組田川支部の青年部長、書記長、福高教組執行委員等を経て昭和三十三年十二月福高教組執行副委員長に選出され、組合業務に専従し、委員長の職務執行を補佐し、委員長事故あるときはその職務を代行しいてたもの。

被告人今仁久雄は、昭和二十年九月熊本工業専門学校を卒業して、福岡県立八幡工業高等学校に奉職し、福高教組八幡支部の役員、福高教組執行委員、八幡支部長等を経て、昭和三十三年十一月より福高教組書記長となり、組合業務に専従し、執行委員会書記局の運営を掌どつていたもの。

被告人小野明、昭和十五年三月小倉師範学校を卒業して、門司市の小学校教員として奉職し、福教組の執行副委員長等を経て、昭和三十二年四月福教組執行委員長となり、組合業務に専従し、その責任者としてこれを統轄していたもの。

被告人中村邦臣は、昭和十六年小倉師範学校を卒業し、小倉市の小学校教員として奉職したが、昭和十七年入隊して軍務に服し、昭和二十三年シベリヤより復員して、しばらく日本配炭公団に勤めた後、昭和二十四年田川郡内の小学校において教鞭をとり、福教組田川支部書記長、福教組書記局組織部長等を経て、昭和三十二年書記次長となり、組会業務に専従し、書記長の職務執行を補佐、書記長事故あるときはその職務を代行していたものであるか、

被告人らは、いずれも前記のように昭和三十四年六月八日から三日間福岡市西新町の福岡県立社会教育会館において開催される文部省及び福岡県教育委員会共催の昭和三十四年度中学校教育課程(技術、家庭)九州地区研究協議会に対して、その開催に反対する日教組の指示に基づいて福高教組並び福教組としてたてた右協議会開催阻止の対策に従い、右協議会に参加するため集合して来る受講者に対し、不参加説得を行う目的で、被告人山下は同月七日午後三時ごろより、被告人今仁は同日午後六時ごろより、被告人小野、同中村は県評終了後福教組の組合員六、七十名とともに、同日午後七時過ぎごろより、会館周辺に来集して待機するうち、午後十一時ごろ会館正門に到着した林という女性の指導主事が、当時受付係をしていた熊谷、中村両指導主事の正門内部からの誘導により、東側通用門から入門しようとしたが、附近にいた組合員に阻止されて遂に入門することができなかつたところ、右混乱の際、それまで正門脇西側通用門の石柱の上にあがつて受付係員に対し、岡崎教育長や萩島学校教育長らへの交渉要求の取次を申し入れていた被告人中村は、会館長馬場常彦管理にかかる会館の敷地内に飛び降り、これを見て同被告人を退去さすべくかけ寄つた熊谷指導主事と問答を交しているうち、続いて被告人今仁が右西側通用門附近から構内に飛び降り、協議会運営本部の事務室並びに受講者らの宿泊所にあてられている会館建物の方向へ走り入り、その後間もなくして東側通用門が開扉され、正門附近や天幕内にいた組合員その他会館周辺にいた組合員が次々に入門した。被告人小野は、当時正門前に設けてあつた天幕内で仮睡していたが、組合員から起されて、組合員らが東側通用門から続々入門していることを知り、これに続いて右通用門から会館敷地内に立ち入り、被告人山下は、当時裏門附近から正門前に引き返して来て、組合員らが入門していることを知り、同被告人もまた右通用門から構内に立ち入つた。組合員らは、前記会館建物一階の本部事務室前の廊下に上り込み、同室から出て来た岡崎教育長、溝江教育次長らに対し「話合いをしよう」と申入れ、岡崎教育長は「話合いはすでに前日すんでいるから、その必要はない。」としてこれを拒否するとともに即時退去を求め、その後、「組合員全員が退去するなら、代表者二、三名とさらに話合いをしよう」とまで譲歩したが、組合側はこの退去要請に応ぜず、右建物一階及び二階の受講者の各居室に入り込み、就寝し、もしくは就寝しようとしていた受講者に対し協議会の不参加と会館からの引揚げの説得を行い、その結果福岡県並びに佐賀県の受講者は会館から引き揚げた。一方教育委員会側においては中野、岩下両指導主事により、同日午後十一時三十分ごろから会館内放送室より屋内用並びに屋外用マイクで、さらに午後十一時五十分ごろからは会館長の承認をえて会館長名をもつて翌八日午前一時五十分ごろまでの間組合員の即時退去を断続的に繰り返し放送したが、被告人四名を含む組合員らはこれに応じなかつた。これより先八日午前零時三十分ごろ教育委員会側からの要請に基づいて、西福岡警察署より警官隊を率いた防犯課長鶴警部補、警備課長森警部補らが、到着し、前記本部事務室において溝江次長、萩島課長らから事情を聴取した後、福岡県職員研修事務室において組合側代表として被告人今仁、同中村と会い、両名に対し、組合員らは即時会館外に退去して事態を収拾するよう警告を発したが、両被告人は、これについて明確な回答をせず退出し、組合側の説得行為はなおも続けられていたため、午前一時五十五分ごろより森警備課長による退去要請のマイク放送が行われたが、それでも組合側は退去しなかつたので、遂に午前二時十分ごろ警官隊による強制退去の措置が行われ、その結果、組合員全員会館外に退去するに至つた。

以上のごとく被告人中村、同今仁は、七日午後十一時ごろ会館正門脇西側通用門附近から会館長馬場常彦管理にかかる会館建物内にほしいままに立ち入り、もって人の看取する建造物に故なく侵入し、管理者馬場会館長の代行として、指導主事よりマイクをもつて退去の要求を受けながら、翌八日午前二時十分ごろ警官隊による強制退去の措置が行われるまで会館内に滞留して退去せず、被告人山下、同小野は、七日午後十一時ごろ門扉の開放されていた東側通用門より馬場会館長の管理下にある前記会館建造物内に立ち入り、管理の代理を認容されていた岡崎教育長より退去の要求を受け、さらに同日午後十一時三十分ごろより翌八日午前一時五十分ごろまでの間管理者馬場会館長の代行として、指導主事からマイクで繰り返し退去の要求を受けながら、同日午前二時十分ごろ警官隊による強制退去の措置が行われるまで、会館内に滞留し、正当の事由なく退去しなかつたものである。

(証拠の標目)……略

(事実認定の判断)

(1)  被告人今仁が被告人中村の後に続いて、西側通用門附近から会館敷地内に飛び降り、構内に立ち入つた。との判示認定において

第十回及び第十二回各公判調書中証人中村喜代志の供述記載並びに第十一回及び第十三回各公判調書中証人熊谷嘉栄の供述記載に、被告人中村の当公判廷における供述を綜合すれば、判示のように七日午後十一時ごろ林指導主事が正門附近にいた組合員に阻止されて入門することができなかつた際、当時西側通用門の石柱の上にあがつていた被告人中村が会館敷地内に飛び降り、熊谷指導主事と問答を交しているうち、続いて組合員の一人が右西側通用門附近から構内に飛び降り、宿舎等にあてられていた建物の方向に駈け出して行つたことを認めるに十分であつて、右事実については証拠上何ら疑いを容れる余地はない。そこで右のように被告中村の後に続いて構内に立ち入つた組合員が被告人今仁であつたか否かについて検討する。被告人今仁は、警察、検察庁における取調べ以来当公判審理に至るまで終始一貫して、西側通用門附近から飛び降りて、会館敷地内に立ち入つたことを否認し、東側通用門の門扉が開放されたので、他の組合員とともに構内に入つた旨を供述し、当時福高教組の執行委員であつて、正門附近にいたという証人徳永邦敏、同佐々木清隆の当公判廷におけるこの点に関する各証言は、同被告人の右供述に符合する。しかしながらこれらの証言並びに供述等は、後記の証拠照らして措信し難いところである。すなわち、第第十一回公判調書によると、当時正門内側において受付係をしていた指導主事で、構内に飛び込んで来た当の組合員の後を追つて行つたという証人熊谷嘉栄は、「組合の人が何かいつて、会場の方へ飛び出した。私はその後を追つて走つて行つた。講習会場の上り口で、私はその人に、とにかく私が課長に話すから一寸ここで待つてくれといつたと思う。そして萩島課長に報告した。そしたら萩島課長は、上り口から見える廊下にいて、大きな声で外に出ろといつた。入つて来た人が帰つたから、私もすぐ後を追つて門の方に引き返し、正門の受付に行つたが誰もいなかつた。そのころは(組合の人が(五、六人ぐらい中(構内)に入つて、(本部事務室のあつた建物)の入口の方に組合の人が走つて行つた。私が課長に報告しているころ、岩下主事が土間の廊下の方から来たと思う」旨証言し、指導主事である証人岩下光弘は、第十五回公判において、「宿舎になつておる建物の出口で今仁被告人に会つた。ちようどその時、後を通りかかつたと思うが、萩島課長が来て、今仁被告人と話をしていた。私は行つてはまずいと思つたので入口に入つていた。その時は今仁被告人一人であつた。今仁被告人のあとからたしか熊谷主事と思うが、指導主事が一人ついて来ていた。課長が逃げていつたので、今仁被告人はそのまま帰つた。外に出たのではないかと思う。私は事務所と食堂のある建物との間を行つたり来たりしていた。その渡り廊下のところでガヤガヤというような感じがしたので、庭の方を見ると、組合員が何人か集団をなして入つて来ているのを見た。」旨証言し、第十三回公判調書によると、当時の学校教育課長であつた証人萩島達太郎は、「石内主事から、二、三名塀を乗り越えて場内に入つてきたとの報告があつた。それで二階を降りて本部室の教育長に報告した。教育長は、早う出さにやといつていたが、ながく話すひまはなかつた。廊下にどやどやと多勢上つて来る騒々しい物音がした。教育長と二人で廊下を出たときは、多勢の組を員が廊下に上つてころらにやつて来ていた。先頭に今仁被告人が立つて誘導して来たと思う。」旨証言し、第十四回公判においては同証人は、「石内主事から門内に入つて来ている人があるとの報告があつた。私は階段を降り、渡り廊下の方に出て来た。そこで今に被告人に会つた。今仁被告人は入口の石段のところに立つていた。その中間には岩下主事がいた。熊谷主事はその時か、ちよつと後ごろいたと思うがはつきりしない。今仁被告人は話し合おうとか何とかいつた。私は、もう話し合う必要はない、出て行つてくれ、といつて、すぐ教育長のところに行つて、二、三名門を飛び越えて入つて来ておる。今そこで今仁書記長にあつた、と報告している間にいよいよ騒々しくなつた。」旨証言している。これらの各証人の証言内容をみるに、些末な点においては記憶違いや記憶の明確でない点が認められる。例えば萩島証言によると、「二、三名塀を乗り越えて場内に入つて来た」との報告を受けたのは石内主事からである旨供述しているけれども、指導主事で受付係をしていた証人中村喜代志の供述(第十回公判調書)並びに証人石内乙児の供述(第十七回公判)によると石内主事は、被告人中村ほか一名が西側通用門附近から構内に立ち入る直前、門外の情勢の険悪化しているのを感得して本部へ連絡に走つたことが認められる。そして萩島課長は、当時会館二階二項室におり、同室を実質上の本部事務室に使用していた(第十四回公判における萩島証言)のであるから、石内主事が右二階二号室に赴いて萩島課長に情勢を報告を行つことは推認しえられるけれども、石内主事は被告人中村ら二名が構内に侵入したことは、前記認定事実に徴し、当時未だ知らなかつたことが認められるから、その報告内容は、門外における組合員の動静にとどまり、萩島証言にいうような「二、三名塀を乗り越えて場内に入つ来た」ことには及んでいないはずである。したがつて萩島証言は、この点において記憶違いをしていることになる。しかし萩島、熊谷、岩下各証人が、当時組合員の動静、ことに構内に入り込んで来た組合員に注意を奪われ、その他の各言動についてまで注意を向ける心の余裕をもちえなかつたことは、当時の状況上容易に推認しえられるところであつて、これと右各証人の証言全体の内容、態度などから考察すると、これら抹消的な事柄についての記憶違い等はあるにしても、以上の熊谷、岸下、萩島の各証言は、各自の体験した事実を記憶どうりありのままに供述していることがうかがわれ、十分真実性があるのもと認められる。そして熊谷証言にいう、「構内に飛び込んで来た組合員と萩島課長とが対面した場面」と、岩下、萩島各証言にいう、「被告人今仁と萩島課長とが対面した場面」とは、その時間的、場所的関係やその前後の状況並びに右場面に登場する人物等が互いに符合する点からみて、全く同一の場面であり、したがつて熊谷証言にいう当の組合員と岩下、萩島各証言にいう被告人今仁とは全く同一人物であることに帰着する。弁護人は、証人萩島達太郎の前記第十三回公判における、「教育長と二人で廊下に出たところ、多勢の組合員の先頭に、今仁被告人が立つて、誘導して来たと思う」旨供述記載を促えて、同証言によると、被告人今仁は単独で会館建物の中に乗り込んで来たのではなく、被告人今仁の供述並びに証人徳永邦敏同佐々木清隆の各証言のごとく、他の多くの組合員とともに構内に入つて来たものと認めざるをえない旨主張する。しかし第十三回公判における萩島証人の右供述記載は、当初会館建物の入口附近で、被告人今仁と会い、ついで同建物一階の本部事務室において岡崎教育長に情勢報告を行つた後の段階における状況であつて、第十三回公判における萩島証言が、右入口附近で被告人今仁と対面した場面を省略していることは、これと、同証人の第十四回公判における前掲供述並びに前記岩下証言とを比較対照するときは、一見明瞭に看取しえられるところであるから、弁護人の右主張には左祖し難い。また第十一回公判調書中の熊谷証人の供述記載によると、当夜被告人中村の後に続いて構内にとび込んで来た組合員が被告人席にいるか、との検察官の問に対し、被告人席にいる被告人今仁を見て、「違いますね」と答えている記載がある。しかし同証人の供述記載によれば、同証人は、被告人今仁とは、事件前には面識がなく、事件後においても面識する機会のなかつたことがうかがわれるとともに、当夜例の組合員と対面したのも極めて短時間であり、しかも照明も十分でない屋外であつたことを考えれば、時と所とを異にし、事件後一年九カ月を経た法廷において、当夜の組合員と被告人席におる被告人今仁とが同一人物であるか否かを識別することは経験則上かなり困難であることが認められるから、右の組合員と被告人今仁とが相違する旨の熊谷証言があるからといつて、この一事のみをもつては、末だ前認定を左右するに足りる資料とはなし難い。かえつて叙上説示したごとく右熊谷証言に岩下、萩島の各証言を対比考察すれば、被告人中村に続いて西側通用門附近から会館敷地内に飛び降り、構内に立ち入つた組合員はすなわち被告人今仁であつたものと認定せざるをえない。

(2)  正門東側の通用門の門扉が開かれたことについて

検察官は、本件起訴状記載の公訴事実のごとく、被告人中村が正門内側より東側通用門の門扉を勝手に開放したものである旨主張する。なるほど被告人中村の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書によると、被告人中村は、取調警察官の面前において、同旨の供述をしていることが認められる。しかし第十二回公判調書中の証人中村喜代志の供述記載によると、東側通用門の門扉が開かれた時には、西側通用門附近から構内に立ち入つた被告人中村は、東側通用門から約十五メートル離れた正門内側の受付附近に中村指導主事とともにおり、それ以前東側通用門まで行つた形跡も、またその余裕もなかつたことが肯認しえられるから、これと相容れない被告人中村の司法警察員並びに検察官の面前における前記供述記載は措信し難く、他に被告人中村が東側通用門の門扉を開放したことを認めるに足りる証拠はない。それでは右東側通用門は何びとによつて開放されたのであろうか。教育委員会側において、本研究協議会の開催を、不参加説得等の方法で妨害されることを危惧し、組合側が構内に立ち入らないよう警戒を厳にしていたことは、判示のとおりであるから、右のような状況に徴し、教育委員会側の職員が故意に右門扉を開放するということは、とうてい考えられないところであり、またそのような事実をうかがうような事実をうかがうに足りる何らの証拠もない。ただ考えられることは、右門扉が開放された少し前の午後十一時ごろ林指導主事が会館正門前に到着し、当時受付係をしていた熊谷、中村両指導主事が、右林指導主事を、正門内部から誘導し、東側通用門から入門させようとしたことは判示認定のとおりであり、その際前記熊谷、中村両指導主事のうちいずれかによつて、それまで施錠していた通用門の閂が外され、その直後引き続いて起きた組合員による林指導主事の入門阻止や被告人中村らの構内侵入による混乱のため、右閂をそのままかけ忘れたのではないかということである。これを証拠についてみるに、第十一回公判調書中の証人熊谷嘉栄の供述記載によると、同証人は、「林主事が来たので、私が立つて行き、東側通用門の方に来るように呼びかけた。その折に中村主事が来た。その時誰か組合員が西側通用門を乗り越えて飛び込んで来たので、私はその組合員のところに行つた。私が東側通用門にいた間は、門が開けられるように鍵を握つていた。中村主事と交代するまでは、門の開いていないことは、はつきりしている。」旨証言し、第十三回公判調書中同証人の供述記載によると、「林主事が参つた折、扉を開けました。中に入りなさいといつているとき、中村主事が来た。」旨証言している、右証言に、証拠上認められるように被告人中村並びに同今仁が構内に侵入した後間もなくして東側通用門が開扉された事実を参酌すると、熊谷指導主事が林指導主事を入門させようとして右開扉の閂を外し、そのままこれをかけ忘れたことがうかがいえられないではない。そして右のように閂をかけ忘れていた開扉がその後自然的に開いたものか、開外にいた組合員が何かの折開扉を押したはずみに開いたものかは、証拠上これを明かにすることをえないが、しかしいずれにしても、検察官主張のような、被告人中村が門内から開扉した旨の事実は、叙上説示のように証拠上とうてい認め難いところである。

(3)  建造物侵入の犯意について

建造物侵入罪の成立要件たる犯意ありとなすには、管理者の意思に反し、又は反すると推測しうる状況にあることを認識しながら、あえて構内に立ち入ることが必要である。被告人四名は、いずれも当公判廷において、会館構内に立ち入ることを会館側から許容されたものと思つて入つた旨供述し、侵入の犯意を否認している。しかも被告中村、同今仁については、前記認定のごとく、依然門扉は閉鎖され、組合員らの立入りを許容するような情勢変化の何ら認められない状況のもとにおいて、右被告人両名は、それぞれ西側通用門附近を乗り越えて会館敷地内に飛び降り、構内に立ち入つているのであつて、この被告人両名の右構内立入りの態様からして、被告人両名が会館の管理者である馬場会館長の意思に反し、ないしは反すると推測しうる状況にあることを認識しながら会館構内に侵入したものであることは、優に肯認しえられるところである。つぎに被告人山下、同小野についてこれをみるに、判示のごとく当時西側通用門の門扉は、正門その他の通用門と同様閉鎖されており、受付係員によつて、受講者その他の関係者のみに対し、これを確認したうえ入門を許し、その後は再び閉鎖して閂をかけるという極めて厳重な措置が講ぜられていたのに、右被告人両名が該通用門から会館構内に立ち入つた際には、右門扉はすでに開放されていて、多数の組合員が入門しており、しかも証拠上窮知しえられるように、当時附近には誰一人これを制止する者もおらなかつた状況に、右被告人両名においては、門扉が開放された前後の事情を知らなかつたことをも考え合せると、右被告人両名の「立ち入りが許されたものと思つて入つた」旨の供述も首肯しえられないではなく、単なる弁解としていちがいに排斥し難いものがあるので、結局右被告人両名が会館の管理者である馬場会館長の意思に反し、ないしは反すると推測しうる状況にあることを認識しながら会館構内に侵入したことについては、犯罪の証明が十分でないことに帰する。そこで右被告人両名については、判示のごとく証拠上明白に認められる建造物不退去事実のみを認定した次第である。

(弁護人ら並びに被告人らの主張に対する判断)

すでに前項事実認定についての判断において触れた部分を除き、その他の事実関係並びに法律点に関する各主張について順次検討することとする。

(一)  不退去罪不成立の主張について

所論は、刑法第百三十条の不退去罪が成立するためには、管理者から適法な退去要求を受け、かつこれを知りながら、正当な理由なくして退去しないという要件を備えることが必要であるところ、本件においては、当時会館内で、相当長期間にわたるマイク放送による退去要求のうち、刑法第百三十条の要件を満たす適法な退去要求と認められるのは、教育委員会側が会館の管理者である会館長馬場常彦の了解をえて会館長をもつてなした最終段階における退去要求だけあつて、その他の退去要求はいずれも適法なものとは認められない。しかも被告人らは、退去要求の放送が行われていたことは知つていたが、右教育委員会側の放送であつて、正式な退去要求とは思つていなかつたのであり、その放送がごく終りの段階に至つて会館長名に変つたことには全く気づかなかつたのである。またたとえ適法な退去の要求があり、そのことを認識していたとしても、被告人らが退去しなかつたのは、研究協議会について、その中止方を教育長と交渉し、また受講者に対し不参加を説得するという正当な目的に出でたものであり、これは労働組合員として当然の権利行使であり、かつそれが平穏に行われていたのであるから、正当な理由に基づくものであつて、いずれの点からしても本件不退去罪は成立しない旨主張する。

しかし被告人中村、同今仁については、当初から会館構内に不法に侵入したものであることは前記認定のとおりであり、右被告人両名が会館敷地内に飛び降りたとき、建造物(建物のほか附属の囲続地をも含む)の侵入罪は既遂に達したものというべきであつて、その後管理者からの退去要求があるなしにかかわらず、不法な滞留が続くかぎり建造物侵入そのものが継続するものと解するのを相当とするから、右被告人両名に関しては、仮に適法な退去の要求を受けたことを認識していなかつたとしても、これがために犯罪の成立に影響を及ぼすべきものではない。そこで主として被告人山下、同小野の関係において、適法な退去要求を受け、かつそのことを認識したか否かについて考察することとする。

まず会館の管理者について考察するに、会館の管理は、社会教育法第六条第二号、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三十条、第二十三条第一号、第二十八条等の規定によれば福岡県教育委員会の所管に属するものと解せられる。したがつて地方教育行政の組織及び運営に関する法律第十七条により、教育長は、県教育委員会の指揮監督のもとに、右管理事務をもつかさどる職務を有することとなるのであるが、福岡県教育委員会は、福岡県立社会教育会館設置条例(福岡県条例第三十一号)、福岡県立社会教育会館規則(福岡県教育委員会規則第十号)、福岡県教育財産事務取扱規則(同委員会規則第一号)等の定めるところにより、福岡県教育委員会事務局(福岡県教育庁という)の職員をもつて社会教育会館長に充て、館長をして会館の財産管理者たらしめるとともに、「教育長の命を受け、会館の事務を掌理し、所属職員を指揮監督」(福岡県立社会教育会館規則第三条)せしめている。

右によると、他人が会館内に無断侵入することを防止したり、設置目的にかなうような物的施設または人的配置を行なうなどの事実上会館を支配する権能は、館長にあるとみるべきである。すなわち刑法第百三十条後段の「看守」する人に該る管理者は、当時の教育長岡崎林平ではなく、会館長馬場常彦であつたというべきである。もつとも証拠によると、本件協議会は、判示のように文部省と福岡県教育委員会との共催であり、その設営は、教育長の命により村教育庁学校教育課が主管した関係から、右協議会開催に必要な期間中における会館の事実上の管理は、主催者側として協議会の設営に当る県教育庁当局に委されていたことが認められる。しかしこれはいわば管理権限の内部的な変更であつて、外部に対する関係においては、会館の管理者は、依然馬場会館長であり、管理を委された教育庁当局はその代理者とみるのが相当である。

ところで建造物不退去罪における不退去、換言すれば刑法第百三十条後段にいう「要求ヲ受ケテ……退去セサル」とは、当初適法にもしくは過失によつて立ち入つた者が、管理者またはその代理と認められる者から退去を求められたにもかかわらず、退去に要する合理的時間の経過後に至つても退去しない場合をいうのであつて、退去を要求しうべき者は、管理者本人に限らず、その他の者であつても本人に代つて管理権を行使することを認容されたことが認められる場合においては、その者もまた退去を要求することができるものというべきである。そして本来の退去要求権者以外の者から退去要求がなされ、これに対し、本人がその場にいながら、特に異議を述べない場合においては、退去要求権の代行を認容されたものと認めて差し支えない。本件についてこれをみると、被告人らは、会館構内に立ち入つたうえ、会館建物一階の本部事務室前の廊下に上り込み、判示のように同事務室から出て来た岡崎教育長から即時退去の要求を受けているのである。岡崎教育長は、前述のように会館の管理者ではなく、したがつて本来の退去要求権者ではないが、その代理者と認められることは叙上説示によつて明らかであるから、岡崎教育長の右退去要求は適法な退去要求である。してみれば、たとえ被告人らが、右退去要求を適法なものでないと考えたとしても、右は行為の違法性に関する錯誤であつて、これによつて犯意を阻却するものではないというべきである。

のみならずその後七日午後十一時三十分ごろから判示のように中野、岩下両指導主事によつて会館放送室よりなされた退去要求の放送については、管理者馬場会館長においてすでに会館の管理を県教育庁当局側に委せていた点からも、また右会館長が当時構内でその放送を聞いていながら、これに対して特に異議を述べておらない点からしても、同人に代つて退去要求権を行使することを認容されていたことが認められるし、また第十三回公判調書中証人荻島達太郎の供述記載並びに証人中野弥壮、同岩下光弘の当公判廷における証言によつて認められるように七日午後十一時五十分ごろからは馬場会館長の再確認的な承認をえて会館長名をもつて翌八日午前一時五十分ごろまで退去要求の放送が続けられたのであつて、右会館長の名前でなされたことを聴取しえたか否かは別として、被告人らが、少なくとも退去要求の右放送を聴取しえたことは、弁護人においてもこれを争わないばかりでなく、被告人山下、同今仁、証人大島明信、同幸亨、同佐々木幸光らの当公判廷における各供述その他によつてうかがうに十分である。

仮に所論のように、右退去要求の放送が会館長名でなされたことを、被告人らにおいて聞き漏らしたとしても、管理者である会館長が教育委員会側の立場にあるものであることや右放送が約二時間二十分の長時間にわたつて行われたことにてらして、被告人らにおいても右放送が管理者ないしはその代理者からの退去要求であることを推測しえたことが容易に窮知しえられるところである。

そして被告人らの不退去が正当事由に基づくものでないことは後段説示のとおりである。叙上のごとく被告人山下、同小野は、岡崎教育長より適法な退去要求を受けた後退去に要する相当時間の経過によつて不退去の違法行為は継続したものというべく、したがつて所論はとうてい採用の限りではない。なお弁護人は、マイク放送による退去要求が適法なものであつたとしても被告人らが右退去要求の放送を聞いたのは、受講者が宿泊していた部屋に備えつけられた拡声器を通じてであつて、受講者は、特定の部屋を使用料を支払つて借り受けていたのであるから、旅館の一室と同じく、右部屋については、宿泊者が独立した管理者であり、右部屋にまでは、会館の管理者馬場常彦の管理権は及ばないのである。

したがつて、右マイク放送による退去要求は、その効力がない旨主張する。しかしながら、会館は、県教育委員会により、社会教育その他教育の研修を実施する利便を図る(福岡県立社会教育会館設置条例第一条例第一条参照)という公の目的のために供用されるいわゆる公物であつて、その使用関係の設定は、福岡県立社会教育会館規則第四条第五条により、県関係職員等所定の者に、その者が研究または研修を行う場合に限り、一定の使用料を徴収して使用を許可する公法上の行為であつて、もともと私法上の契約関係は異なるものであるから、旅館における宿泊とは同一視しえないばかりでなく、管理者は公物の存立を維持とし公物本来の目的を達成せしめるために、これを阻害する行動に出でた者に対しては、退去を求めうる権能を有するものであるから、使用者は、前記所定の制限のもとに使用権を取得するとともに、管理者の右管理権に基づく支配関係に服する効果を生じるものであり、したがつて会館の供用目的を阻害する等の行為のあつた場合には、会館の管理者は、管理権に基づいて、使用者の部屋に立ち入つてでも、これを排除しうる権能を有するものというべきである。そうだとすれば、受講者に対する不参加説得の目的で受講者の部屋に立ち入り、その協議会参加を阻害する行動に出でた被告人らに対し、その部屋に備えつけられた拡声機を通じてなしたマイク放送による退去要求が適法有効なことは、一点疑を容れる余地のないところであるから、弁護人の右主張は理由がない。

(二)  立入り及び不退去の正当性についての主張

所論は、建造物侵入並びに不退去の罪は、正当の理由なく侵入したり、退去しなかつた場合にのみ成立するものであるところ、被告人らが会館に立ち入つたのは、本件協議会の主催者が、協議会実施により、新憲法にのつとつた平和民主教育を根本から破壊しようとしたのに対し、これを防衛するため、福高教組、福教組の最高の役職に就いていた被告人らの職務上当然として、日教組の指示及び所属組合の方針に従つて、右協議会の中止について主催者側に立つ岡崎教育長らと交渉し、かつ日教組の協議会に対する方針や右協議会の性格等について十分理解していない受講者に対しこれを十分説明理解させて、不参加説得する意図に出でたものであり、被告人らの立入りの手段方法も、中村被告人の場合は、門柱を乗り越えるという異常な手段がとられているが、これは、同被告人が受付の指導主事らに岡崎教育長への面会の取次方を要求したのに対し、右指導主事が明確な返答をせず、自分で会いに行くぞといつてもこれに対し明確な拒否の態度も示さなかつたので、構内に飛び降りて、受付の指導主事の許まで右取次方を直接交渉に赴いたまでであつて、門扉が開放されるまでは、それ以上構内に立ち入る意思はなかつたのであるから、右立入りの手段方法も必ずしも不当とみるべきものではなく、その他の被告人は、開放された通用門を通つて、平穏に構内に入つており、途中で立入りを制止されることもなかつたのであり、また受講者に対する説得は、約二時間にわたつて行われているが、その間平穏な話合いがつづけられ、暴行、脅逆、その他これに類する行動は、全然みられなかったのである。以上のように、被告人らの立入り及び滞留は正当な目的に出で、かつその手段方法も社会通念にてらして不当とされるようなものではなく、これを要するに被告人らの立入りないし不退去の所為は、正当な理由に基づくものであるから、建造物侵入並びに不退去の罪を構成しない、というのである。

よつて按ずるに、刑法第百三条にいう「故ナク」とは正当の理由のないことであり、正当の理由があるとなすには、侵入なしい不退去そのものを正当化するだけの理由がなければならない。そしてこれを正当化する理由があるか否かの判定には、所論指適のように、侵入ないし不退去について、その目的(主観的要素)を全然無視しえないことはもちろんであるが、その手段方法等の客観的事情をも綜合勘案して、住居等の平穏を害するものであるか否かによつて決せらればならない。けだし、侵入目的が不法(たとえば詐欺の目的)であるからといつて、それだけで直ちに侵入そのものの違法性を基礎づけることにはならないと同様に、侵入目的が不法でないからといつて、それだけで直ちに侵入を正当ならしめることにはならないのであつて、たとえば団体交渉なるが故に工場等への立入りが当然正当化されるものではなく、争議団の代表者のみが立ち入るなど、その立入りの手段方法が平穏に行われ、工場等の場所の平穏に対して侵害または脅威を与えないかぎりにおいて正当化されるものというべきだからである。本件についてこれをみるに、被告人らの会館への立入り並びに不退去の目的が、所論主張のように、主催者側の岡崎教育長らと交渉することと、受講者らに対し協議会不参加を説得することにあつたことが認められ、たとえ右立入り等の目的は正当であつたとしても、その手段方法の態様は、判示認定のように、被告人中村、同今仁においては、立入禁止の標示札が掲げられ、門扉は閉鎖されて、協議会関係者ら以外の立入りは厳禁されていたにもかかわらず、門外から門柱附近を乗り越えて、会館敷地内に飛び降り、構内に侵入しているのであつて、所論のようにその目的が受付係員の許に直接交渉に赴くためであつたとしても、右立入りの態様は必ずしも平穏とは認められないし、また被告人ら、ことに被告人小野、同山下においては、門扉されていた西側通用門から構内に入り、会館建物一階の廊下に立ち入つた際、岡崎教育長から即時退去の要求を受けたにもかかわらず、これを無視して、他の多数の組合員とともに受講者の居室に立ち入り、就寝しもしくは就寝しようとしていた受講者らに対し、深夜ともいうべき午後十一時過ぎごろから翌日午前二時近くまで、退去要求の放送が続けられているさ中において不参加説得を行い、警官隊による強制退去の措置が講ぜられるまで退去しなかつたものであつて、その不退去の態様も決して平穏に行われたものとはいい難く、会館の平穏を害したことは疑いを容れる余地のないところである。したがつて、被告人らの侵入ないし不退去の所為が、正当の理由に基づくものとはとうてい認め難いところであるから、この点に関する所論もまた採用の限りではない。

(三)  正当な団結権、団体交渉権、団体行動権の行使としての違法性阻却の主張について

所論は、本件協議会中止のために教育委員会と交渉したり、右協議会に参加しないよう受講者を説得したりすることは、被告人らの属する日教組の指示と福教組、福高教組の正式な機関決定に基づく行動であり、被告人らの有する団結権、団体交渉権、団体行動権の行使として、会館内に立ち入り、岡崎教育長と交渉すべく努めたり、受講者に対し不参加の説得を行つたものであつて、被告人らの右立入りは、その目的及び手段において社会通念上特に不当と認められるものはなかつたのであるから、たとえ外形的に刑法第百三十条の構成要件に該当したと仮定しても、団結権、団体交渉権、団体行動権の正当な行使として、労働組合法第一条第二項により違法性を阻却する、というのである。

なるほど所論のような日教組等組織の指示、決定があつたことは判示認定のとおりであるが、右は、判示のごとく学校教育法施行規則の改正による教育課程の改訂に反対し、右改訂の移行措置として実施される研究協議会の開催を阻止すべく、その中止方について県教委員会と交渉し、また受講者に対し不参加説得を行うことにあるのであつて、本来対使用者関係における労働条件の維持向上を図ることを主たる目的とするものではないのである。そして労働組合法第一条第二項は、同条第一項に掲げる目的を達するためにした労働組合の正当な行為についてのみ、刑法第三十五条の適用のあることを規定しているに過ぎないのであるから、労働組合員の当該行為が、労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を主たる目的とし、これを貫徹することを前提として設定されたものでない以上、これが適用はない。したがつて被告人らの行動が前記指示、決定に基づいたとしても、それについて労働組合法第一条第二項の適用はないものというべきである。のみならず、たとえ被告人らの行為が、所論のように団体交渉権等の行使であるとしても、その目的は別として、その手段、方法の態様が相当ないでことは前段説示のとおりであつて、健全なる社会通念に照らし、正当なる権利行使の範囲を逸脱しているものと認められるから、被告人らの行為は違法性を阻却しないものというべく、本所論もまた排斥せざるをえない。

四 正当行為ないし超法規的違法性阻却の主張について

所論は、(1)福岡県教育委員会が行つた本件協議会の開催は、憲法、教育基本法に掲げる平和民主教育原理に基づいて、教師に本来的に附与されている自主的に教育計画を立て、これを実践する自由を、組織的かつ大規模に侵害し、剥奪する違法な攻撃であつて、被告人らは、かかる違法な攻撃に対する抵抗行為として、教育に対する不当な支配を排除し、教師に与えられている自主的な教育実践の自由を防衛確保することを目的として、本件所為に出でたものであるから、被告人らの行為は、正当行為として違法性を阻却する。また、(2)福岡県教育委員会は、組合の団体交渉権を無視し、所属組合員である受講者を組合の手の届かないところに閉じ込めて、被告人らの有する団結権、団体行動権に基づいて受講者を説得することまで一切封殺し、憲法の精神に反する官製講習会を強行しようと企てたものであつて、このような教育委員会のやり方は、平和憲法をふみにじり、かつつ被告人らの団結権、団体交渉権、団体行動権を破壊するものである。かかる事態に対し、被告人らは、教育に対する権力支配を排し、憲法の精神に基づく平和民主教育を擁護するため、労働者として有する団結権、団体交渉権、団体行動権の行使として、会館に立ち入つたのであつて、その行為が目的において正当であるばかりでなく、その方法は、公共建造物である会館のなかに立ち入つて、協議会の主催者にその中止方を交渉し、受講者に対して協議会参加を拒否するよう平和的に説得したにとどまるのであるから、その目的と当時の状況に照らして相当である。かつ被告人らの立入りによつて侵害された法益があつたと仮定しても、それはたかだか馬場館長の管理する建物の平穏というだけのものであり、これに対し、被告人らの立入りによつて防衛された法益は、自己の有する団結権、団体交渉権、団体行動権並びに平和憲法の擁護であつて、侵害された法益は防衛された法益に比べ、あまりにも微少である。しかも、危険な官製講習会を翌日に控え、受講者が多数会館にかんづめになつていた当時の状況からみて、被告人らが真に自己の権利を守りとおすためには、会館の中に立ち入つて交渉したり、説得するほか、他に方法のないくらい急迫した事情にあつたのである。このような角度から検討すると、被告人らの立入り行為は、憲法を頂点とするわが国の法秩序全体の精神からみて、実質的に法秩序に反せず、超法規的に違法性を阻却する、というのである。

しかし目的の正当性のみをもつて侵入ないし不退去の行為を正当化しえないこと、並びに被告人らの本件行為がその手段、方法において相当でないことはすでに説明したとおりであるが、さらに所論に基づいて布延すると、なるほど被告人らの属する日教組並びに福教組、福高教組において、文部当局が学校教育法施行規則の改正及び文部省告示により教育課程を改正し、学習指導要領に基準性と法的拘束性を持たせたことは、憲法並びに教育基本法に違背し、教育の自主性を奪うものであつて、反動文教政策の一環としてとられた教育に対する不当な支配であり、教育課程改正に伴う移行措置として実施した本件協議会を行政権力をもつて教育を統制しようとする官製講習会であるとして、その開催阻止の運動を展開したこと、並びに被告人らが本件所為に出でた動機、目的も畢竟これと同じであつたことは、証拠上明らかである。そして教育関係の労働組合並びにその組合員の立場として、教育課程の改正及び学習指導要領の法的性格やその内容に対して批判を加え、これに反対する意思を表明し、その廃止を目指して運動を展開することは、社会通念上何びとも首肯するに足る程度の平和かつ秩序ある方法による限り、それ自体少しも違法ではないが、その主張を貫徹するために、通常適法とされる限度を越えるような手段、方法をとることが許されないことはいうまでもない。まして右改訂された教育課程並びに指導要領の技術的な内容については、今後なお、改善すべき余地なしとは断じ難いとしても、少なくとも右規則並びに告示が、所論のように行政権力による教育に対する不当な支配に該り、憲法並びに教育基本法に違反するものとは解し難いことは、後段説示のとおりであり、福岡県教育委員会は、判示のごとく協議会開催前である六月五日、六日の両日にわたり、福教協の名において協議会開催の中止方を甲し入れて来た福教組並びに福高教組の幹部役員らとの間に、右申入れに応じて、協議会の開催中止についての話合いを行つているのであり、また本件協議会の開催が組合側によつて妨害されることを危惧して、本件当日会館内への出入口を閉鎖し、組合員の立入りを禁じ、その交渉の申入れに応じなかつたことも、主催者側としては、当時の情勢上無理からぬ措置であつたというべきである。したがつて県教育委員会が教育課程改定実施の移行措置として本件協議会を開催するについてとつたやり方が、所論のように平和憲法をふみにじり、かつ被告人らの団体交渉権等を破壊するものであるとはいえないばかりでなく、右協議会の開催が被告人らの立場とは相容れないものであつたとしてもこれがためにわが国の民主的教育制度が崩壊し、教育の自主性が剥奪されるといつた緊急非常の事態が起きたわけではないのであるから被告人らが自己の立場を貫徹しようとするには、法の許す手段によつて行うべきであつて、違法とされるような非常手段をとることを肯定すべき理由はない。してみれば、被告人らの所為は、手段として相当性を欠くのみならず緊急性をも欠如するものといわなければならない。さらに県教育委員会による本件協議会の開催とこれについてとつた措置が、憲法並びに教育基本法の精神に基づく平和民主教育を崩壊させ、かつ被告人らの労働者としての権利を侵害し、ないしはしようとしたものとは認められず、かつ被告人らにおいてこれを防衛するについて、緊急やむをえないような事態にあつたものとは認められない以上、右法益の貴重なことは論なしとしても、これと被告人らの行為によつて侵害された法益との優劣を論ずることは、もはや意味のないものというべきである。

上叙のごとく所論にいう諸点を考察してみても、なお被告人らの行為が、法秩序の精神に照らして是認され、正当行為ないしは超法規的違法阻却事由として、実質的違法性を欠く行為とはなし難いから、この点に関する所論もまた理由がない。

五 期待可能性による責任阻却の主張について。

所論は要するに、中村被告人は、当時福教組の書記次長として、団体交渉の窓口を開く直接の責任者であり、今仁被告人は、福高教組書記長として同様の立場にあり、山下被告人は、福高教組の副委員長(当時委員長は不在)として、小野被告人は福教組の委員長として、いずれも組合の最高責任者であり、被告人らはその責任上本件行為に出たものであつて、他の何びとを被告人らの立場においたとしても当時の状況に照らし、本件行動以外に他に適法な行動にでることを期待しえなかつたものというべきであるから、いわゆる期待可能性の理論によつて責任を阻却し、罪とならないものである、というのである。

しかし判示のような当時の状況並びに被告人らが教養ある教育関係者であることや被告人らの属する組合のいわゆる官製講習会についての決議、指令が組合員に対し本件のような違法行為にでることまでも指示しているわけではないことなど考え合せると、被告人らが本件行為以外に他に適法な行動にでることを期待しえなかつたものとは首肯しえない。

むしろ福教組、福高教組において指導者的地位にあつたと認められる被告人らにおいては、会館における当夜の事態を冷静に正視し、自己のみならず他の組合員に対しても違法な行動に出でないよう対処しうる自由を持ち、またそれが可能であつたのに、かえつて被告人中村、同今仁においては率先して構内侵入の挙に出で、被告人山下、同小野においても他の組合員とともに退去要求を無視して、不退去の挙に出でたものと認められるから、期待可能性による責任阻却の主張もまた理由がない。

六 教育課程改訂の違法性の主張について

所論は要するに、文部省が学校教育法施行規則の改正により教育課程を改訂し、文部省告示を持つて学習指導要領を定め、その基準性に法的拘束力を与えたことは、教育内容を国家の定める基準によつて統制するもので、保守党政府の反動文教政策に基づく反民主的な教育支配であり、教育の自主性を侵害するものであつて、平和主義、民主主義を基調とし、教育の自由を保証する日本国憲法並びに教育基本法に違反するというに帰する。

しかし、たとえ所論のように教育課程改訂が違憲違法であり、したがつてこれが実施のために行われた本件協議会の開催もまた―↓違憲、違法であるとしても、それだけで直ちに本件建造物侵入ないし不退去そのものを正当化し、もしくは違法性を阻却する事由あるものと即断しえないことは論を要しないところである。

しかも、所論の教育課程の改訂並びに学習指導要領に法的拘束性を与えたことをもつて直ちに違憲、違法とはなし難い。わが国のような民主憲法を基調とする政治体制のもとにおいては、国家目的の遂行の手段として、教育を国家権力によつて統制し、これを独占することが許されないことはいうまでもない。教育が、本質的には、教育者の被教育者に直接働きかける極めて個人的な性質のものであることを考えると国家は教育に対し、原則としてはむしろ不干渉主義をとるべきであろう。しかし教育は、教育者と被教育者との単なる個人的な関係にとどまらず、社会公共的な要素をもち、国家や地方公共団体の利害に大きな関係をもつていることも否めないところである。ことに義務教育については、日本国憲法第二十六条第二項はすべての国民に対し、その保護する子女に普通教育を受けさせることを、保護者の自由に放認することなく、国民の義務として課している。これは、子女が個人としてまた国民として最小限度の徳性、知識、技能、並びに一般教養を有することが、個人の利益のみならず、国家社会の利益に適合するものであり、民主的で文化的な国家を建設するために不可欠な条件であるからである。

したがつて義務教育はあまねく国民に課せられた義務であると同時に、国家は、これを適正に実施、普及すべき使命を有する。

教育が教育者と被教育者との間の人格的接触の関係であり、本来個人的かつ自由な活動であつて、教師の創意の発揮が教育の健全な発達のために欠くべからざるものであることは、いうまでもないが、他面教育は公の性質を有するものであるから全くの自由、無軌道に放任さるべきものではなく、国家は、自己の教育上の任務にかんがみ、学校制度を設備し、教育上の施設を整え、必要な監督をなすことはもとより教科に関する事項について、最低限度の規格を定めることも、教師の専恣、偏向を制御し、教育水準の向上を図るうえにおいて、必要な措置というべく、このこと自体をもつて直ちに教育の中央集権化ないしは教育基本法第十条第一項にいわゆる不当な支配であるとは断じ難いところである。

そして日本国憲法並びに教育基本法にかかげる理念を学校教育の制度と内容に具現した学校教育法の第三十八条並びに附則第百六条によると、中学校の教科に関する事項は、監督庁である文部大臣が定める旨規定し、中学校の教科に関する事項を定めることが文部大臣の職務権限に属することを明らかにしている。これと文部省設置法第五条(文部省の権限)、第八条(初等中等教育局の事務)、文部省組織令第八条(初等教育課の事務)、第九条(中等教育課の事務等)の規定によつて明らかなように、初等中等教育に関する基準を企画、設定することが、文部省の職務権限とされていることとに徴すれば、文部大臣の職務権限に属する「教科に関する事項」のうちには、教科等を計画的、組織的に学習させる順路を定める教育課程も包含されているものと解して妨げないものというべく、したがつて、右職務権限に基づいて、昭和三十三年八月二十八日付文部省令第二十五号により学校教育法施行規則を改正し、その第五十三条で、中学校の教育課程中の必修教科である従来の職業、家庭科に代えて技術、家庭科を定め、第五十四条の二の規定により同年十月一日付文部省告示第八十一号により中学校学習指導要領を公示し、これに抱束力を持たせたことは、もとより適法な措置があつて、それが日本国憲法並びに教育基本法に照らして、これに違反するとすべき理由なく、右指導要領の内容をみても違憲、違法とすべき点はない。例えば技術、家庭科の技術教育について男女別系統をとつたことも、男子と女子との間に生理的ないし能力的特異性により幾分の差異の存在することは否定しえないところであるから、その差異に応じてある程度取扱いを異にすることは、むしろ実質的平等にかなうものというべきであつて、憲法並びに教育基本法の要請に反するものではない。しからば教育課程を改訂し、学習指導要領の基準性に法的抱束力を与えたことが、違憲、違法であるとなす本所論もまた採用の限りではない。

(法令の適用)

被告人四名の判示各所為は、刑法第百三十条、罰金等臨時措置法第二条第一項第三条第一項第一号に該当するから、所定刑中懲役刑を選択し、被告人今仁、同中村を各懲役二月に、被告人山下同小野を各懲役一月処し、諸般の情状を考慮して、被告人四名に対し、刑法第二十五条第一項を適用し、この裁判確定の日から各一年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十条第一項本文に従い、主文第四項記載のとおり被告人らに負担させることとする。

なお本件公訴事実中、被告人山下、同小野に対する建造物侵入の点については、犯罪の証明が十分でないけれども、右は、判示建造物不退去罪と一罪の関係にあるものとして起訴されたものと認めるから、特に主文において無罪の言渡しをしない。

よつて主文のとおり判決する。

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